大阪 Journal

日々を徒然に記述

マーティン・スコセッシ、スーパーヒーロー映画が「映画文化にもたらす危険性」を指摘 ─ 「我々は抵抗しなければ」発言の真意を読み解く

theriver.jp

スコセッシが「マーベル映画は映画(cinema)ではない」と発言したのち、映画ファンのみならず、少なくない映画スターや監督たちが「マーベル映画も映画であり、芸術作品だ」と反論した。ところがスコセッシの視線は、個別の作品がどうであるかにかかわらず、スーパーヒーロー映画が、彼の言葉を借りるなら「工業的に」生産され、現在の映画文化に氾濫していること、その陰で何が起きているかということに向けられている。

フィルムメーカーたちが諸手を挙げて現在の流れを称えることは、長期的に映画文化のためになるのかどうか? 映画ファンはこの現状をどのように受け止めるべきか? スコセッシの問いかけと抵抗は、単なる“スーパーヒーロー映画批判”を超え、より大きな問題について考える契機となる。

マーベルの一連の映画がダメとは思わないし、十分楽しんでもいるが、スコセッシの言う、「工業的」なという比喩はどこか当たっている気がする。ハリウッド映画も続編ものが多いうえに、作品の細かいところばかり掘り下げるサブスクのドラマ(端的に悪い例はスターウォーズ)などを見ると、これらの作品の魅力は退化している気がする。